和楽多屋日記

伝統工芸・和雑貨の「和楽多屋」店長の日記。

日本建築と自然

ネットでいろいろ建築のことについて調べていたら、こんなサイトに出合いました。その一節…。

「日本の建築は一度敷地の内側に入ってしまえば、その中での内/外という境界は曖昧なものとなる。京都の竜安寺を訪れたとき、その書院の奥に座り、その枯山水の庭を眺めたことがあるが、その時はどこまでが内部でどこからが外部であるかが解らなかった。ゴシックの大聖堂を訪れたときは、その建物の扉をくぐった瞬間から内部に入ったという感覚があったが、竜安寺ではその感覚はなかった。しかし今考えると、内と外の区切りは、畳と縁側の境の敷居の線ではなく、枯山水の向こうにある塀にあったような気がする。
 このように考えると、自然=非文化と人工物=文化との区別は、自己と他者との区別であると思う。ヨーロッパの街は城壁都市として発展したから、他者である自然は街の外にあるような気がする。しかし日本建築の場合は、他者性をその敷地の塀の外に感じる。最近京都の街にもマンションが多く建設され、庭園からの借景が破壊されているという事例を多く見かける。このような都市全体の景観を考えない開発を行う原因の一つに、塀の外側は自分には関係ない他者であるという日本人独特の感覚があるような気がする」(言葉と建築 第九講お題 http://ofda.jp/lab/lecture/word/bbs/2005/12/post_8.html

少し長い引用になってごめんなさい。よく日本建築は自然と一体になっていると言われますが、確かにその境界については、もう一度よく考えてみる必要があるのかもしれません。最近、道路の植え込みの花をなぎ倒してストレス解消をしているらしい輩がいるようですが、自分の家以外は、「関係ねえ」ということでしょうか。少なくとも庭や生け花で自然をうまく取り入た先人に、もう一度学びたいと思います。

自然の癒しをお部屋のインテリアに…

和楽多屋スタッフ:MORI