和楽多屋日記

伝統工芸・和雑貨の「和楽多屋」店長の日記。

検定試験

“検定試験”がブームなんだそうですね。定番の「漢字検定」や「英検」のほかに、最近では「常識力検定」や「時刻表検定」「道産子検定」など、ユニークな検定試験がどんどん増えているようです。

でも、学生時代は“試験”なんて大嫌いだったはず(少なくとも私は…)。いい大学に入るための試験は“地獄”がつくほど過酷なものでした。それがどうして、大人になってからみんな試験をやりたがるのでしょうか。

古来、悪名高い試験地獄といえば真っ先に中国の「科挙」が挙げられるでしょう。いくら日本の試験地獄がすごいからって、この科挙の比ではありません。唐の時代の官吏登用試験のことを言いますが、科挙を受けようとする者は必ずどこか国立学校の生徒でなければならなかったで、まずその学校に入るための試験(県試、府試、院試、歳試と何度も難関がある)を受けなければなりません。そして科挙となるのですが、もちろん1回の試験ではなくて、郷試、会試、殿試と受けてはじめて“進士”となることができたようです。もう気の遠くなるような話ですね(^^;

当然それらの試験には試験勉強がつきものなのですが、本来試験とは、「その人の現在の実力や知識を試してみる」ということですよね。つまりはテストするというわけです。だから本来、試験のための勉強なんておかしな話です。今まで勉強してきた実力そのままでいいわけですよね。

まあ、どうしてもいい大学に入ろうとすると、そういうわけにもいかないのはよくわかりますが、それほど深刻にならなくても済む昨今の検定試験の場合も、事前の勉強をみなさん真剣にされているようです。それは昔苦しかった経験をもう一度繰り返したがっているかのようです。

人間は、もしかしたら安穏と暮らすより、過酷な環境を克服するのが好きなのかもしれません。つまり、生ぬるい“安らぎ”より、達成感からくる強い“快感”のほうが人を酔わせるのかもしれませんね。それが検定試験ブームの隠れた理由だと思うのですが、いかがでしょうか?

和楽多屋スタッフ:MORI